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法隆寺羅漢堂(奈良県法隆寺) |
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この塔は旧富貴寺(奈良県磯城郡川西村保田)の羅漢堂(後には伽藍堂と称された小堂宇)が昭和10年に解体され、東京の細川護立邸の倉庫に保管されていたものを法隆寺境内に再建したものであるという。
戦前に文部省宗教局技師坂谷良之進によって小三重塔の復元図が作成された。昭和44年遺材は細川護立氏より法隆寺に寄進され、大岡實によって改めて復元図が作成されたという。(三重塔と多宝塔が検討されたが、多宝塔は無理であり、三重塔とされたという)
その後の経緯については「重要文化財法隆寺羅漢堂(旧富貴寺)復元工事報告書」(安田工務店)に以下のような記述があるという。
「同年遺材を倉庫から出し点検整備を行った。遺材は腐朽・破損が著しかったが、12世紀を下らない平安期のものと思われ、また初重再建は可能であり、重文に指定すべきとされ(昭和46年重文指定)、遺材の徹底した保存と修復が図られることとなった。部材は初重軒廻りを除く、側廻り部分であり、それは柱、頭貫、斗組、小屋組が主要部であり、207点を数えた。復元塔初重の名称は旧富貴寺羅漢堂とされ、その構造は方一間であり、四隅に円柱を建て、頭貫を廻らせ、柱間には頭貫下の細い円柱を立て3間に分け、4面中央間は扉とし、頭貫上に薄い台輪を組み、内外に内法長押を取り付けている。組物は2手先で柱間を3等分し、尾垂木を用いず、軒天井・軒支輪を備える。斗・肘木は部分的に欠失し、支輪は1本が残っていたにすぎず、これ等の用材は新調された。斗の丈は特に高く肘木の含みも浅く、つまり台輪と通肘木の間が高く、外見上は極めて古式に見える。古材の残っていたのは出桁までで、軒廻り以上は新調される。内部は1室で、部材の状況から折上組入天井と推定される。なお側桁間に梁は2丁懸けられ、これに心柱受梁と思われる横架材の仕口が見られ、これからも遺構は塔形と推測された。なお、再建は部材の強度の問題と2重及び3重は全くの新材造営となるため、単層宝形造の小堂として復元された。」
(下線は引用者による)
さて、この小堂は西院伽藍から夢殿へ、東大門をくぐり約100m歩いた南側にあるのだが、非常に分かりにくい場所で、かつ非公開で遠くからしか見ることができないといった按配である。 |
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右手が羅漢堂、左手には法隆寺五重塔の上部が見える |
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右手が羅漢堂 |
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年月 |
西歴 |
工事名 |
所在地 |
工事期間 |
助手 |
構造設計 |
施工 |
構造種別 |
昭和45 |
1970 |
法隆寺 羅漢堂 |
奈良県法隆寺 |
昭和45~46 |
安田昭二 |
安田工務店 |
安田工務店 |
木造 |
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㈱安田工務店 千葉県市原市八幡2062
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